山旅の記録
(シニア百41)

    長者ヶ岳  −富士を間近に望む頂きへ
    日程:2012年11月29日 
      (掲載日:2025年11
月20日)


長者ヶ岳からの富士山

長者ヶ岳の山頂にて

天子ヶ岳への登山道

天子ヶ岳のつつじ伝説

天子ヶ岳の山頂にて

 *写真はクリックすると拡大します。 


 登山口の田貫湖に着いたのは9時半ころ、休暇村富士で地図をもらい、説明を受ける。長者ヶ岳・天子ヶ岳のピストンが無難だろうということになり、長者ヶ岳の登山口まで車で入った。
 登山口をあとにしたのは9時53分。ヒノキの植林帯を行く。木段道で手入れがいい。ジグザグに登り、東海自然歩道との合流点に着いたのは10時40分だった。ベンチと案内板がある。田貫湖と雪白の富士山が眺められた。さらに登りが1時間ほど続いた。ヒノキがきれいに並び一本の直線になったところがある。まるで唐招提寺のエンタシスを思わせる風情でとても美しい。いくつかの偽ピークを越えて長者ヶ岳の山頂に立ったのは11時55分だった。三等三角点標石と案内板がある。
 富士山と田貫湖をオカズに昼食をとる。いざ出発というときになって山仲間が南アルプスを見つけた。北岳、間ノ岳、農鳥岳の白根三山に悪沢岳、赤石岳、手前に笊ヶ岳、後ろに白い峰を覗かせているのは光岳だろう、曾遊のジャイアンツが雪を身に纏いずらりと勢揃いしていたのだ。これは望外の喜びだった。
 巨石の転がる稜線を行く。落葉を踏んで歩く道は心地よい。鞍部の上佐野分岐(「天子湖へ」とあった)を過ぎて、ヒノキに変わりブナが現われると急登となる。岩を掴みながら頑張る。天子ヶ岳の山頂は遠かった。もう山頂かと思うのだが、登ってみるとさらに先があった。緩やかな高みを越えた先に標識がある。天子ヶ岳だった。あきらかに手前のコブの方が高い。これはどういうことだろう。あたりはスギに囲まれ展望は得られない。
 少し下ったところに柵で囲われた樹木があった。瓔珞ツツジだった。「天子ヶ岳瓔珞つつじ伝説」の看板もある。それによれば、「昔、この地に京都から嫁いできたお姫様が亡くなるときこの場所に一緒に埋めた瓔珞(宝石などをつらねた装身具)から芽吹いたことからヨウラクツツジといわれます。」とあった。松井氏は貧しい炭焼藤次郎が一所懸命働いて炭焼長者になり、嫁に迎えたお姫様の遺言に従い天子ヶ岳に亡骸と瓔珞を埋めた「炭焼藤次郎伝説」を『シニア百山』で紹介している。
 当初は来た道を戻るつもりだったが、ホームページの所要時間で登れたことに気をよくして周回することにした。下山タイムは2時間、間違っても日没になることはないと踏んだ。広場の左に展望地があり田貫湖が見えるが、その先は行けない。あちこち探して道形を見つけた。白いテープもあり、これだろうと見当をつけ下り始める。急な斜面をどんどん下る。休暇村富士でもらった地図に記載のある展望台に立つとパラグライダー離陸場が見えた。てっきり尾根を間違えたと思ったが、これまで左にとる分岐はなかった。もう降るしかない。ヒノキの深い樹林に入る。ヤマアジサイと思われる下生えがクリームイエローに黄葉し、斜光線に照らされて幻想的な美しさを見せていた。ヒノキの根を踏んで下る。下り切ったところに林道があった。さらに下ると白糸の滝に出るようだ。左にとれば天子の森キャンプ場(30分)と田貫湖キャンプ場(60分)に出るとある。道を間違えた訳ではなかった。ホッとした。左右にくねりながら緩やかなアップダウンの続く林道を急ぐと、天子の森オートキャンプ場の第3キャンプ場が現われた。さらに歩くと、15時42分、キャンプ場の管理棟に出た。やっと地図を取り出す元気が出る。ここまで来ると、「休暇村富士」は近い。登山口に戻ったのは16時14分だった。                               

                                         (記 山本 進吾)