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玉川温泉に宿泊した翌日、宿から焼山を目指した。焼山は三度目。最初は昭和40(1965)年に大学の同級生と、鎧畑ダムから五十曲峠を越えて玉川温泉で一泊。翌日焼山、毛氈峠を越えて八幡平に登り、蒸ノ湯に下りた。二度目は昭和41(1966)年、学生寮の先輩と玉川温泉に5泊したとき徒然に耐えかねて登った。宿の下駄で登ったと記憶しているが、ケモノ道程度の登山道だったように思う。
岩盤浴の傍らを通過して登山口に行く。途中で会った中年男性に家人が温泉で茹でたクリをもらっていた。クリは水場で休んだときに食べたが、甘くて美味しかった。コンクリートの階段道を登るが、最初の段差が大きく思いの外急登に感じられた。美しいブナ林を登るようになると、ほどなく水場。ベンチがある。一本立てた。「叫沢分岐点」の道標がある。9時46分。「名残峠1.1km、
玉川温泉1.8km」とあった。さらに急登を頑張ると、展望が開ける。右上に名残峠の木柵が見えた。トラバースしながら登る道は立入禁止になっている。山仲間が4年前に登ったときはこのコースを歩いたそうだが、ガレて道が崩れてしまったのだろう。新たにササ藪を刈り払いしてあるが、急登のうえに切株が残り、また刈ったササが散乱して、滑って手や腰をつけると極めて危険。300mほどとはいえ太いロープ頼りに慎重に登った。
傾斜が緩むと名残峠からの道と合して狭い平地となる。休むのはあとにして山頂を探しに行く。20mほど奥に入ると、ササ藪に囲まれた小平地に二等三角点標石があった。ここが焼山の山頂であろうが、山名標識も何もない。展望もないので名残峠分岐に戻り、大休止とした。10時55分。左に森吉山が優美な裾を引いて立ち上がっている。正面には後生掛温泉の瀟洒な建物が眺められた。右手には八幡平が牛の背のような姿を見せて蟠っている。岩手山はといえば残念ながら望むことは叶わなかった。
(記 山本 進吾)
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