● 世界の山を目指す  内田さん
   *インタビュアー: 会報担当 渡辺さん
  (本内容は会報60号より抜粋)

 南極の最高峰(4897m) ビンソン・マシェフの山頂にて
 
 
インタビュー中の内田さん

●2004年1月25日に南極から帰国されたばかりの内田敏子さんに、インタビューを試みました。まずは、南極の話から・・・・。

Q 南極はいかがでした? 
 A  厳しい。気温がマイナス30度と言っても、想像できないかもしれないけど。
Q そんな厳しい所にどうして行ってみたいと思うんですか? 
 A 南極から見た景色はどんなかなーと思ったの。写真を持って来たから見て!
Q ふ−ん、何だか北梅道の景色と変わらない様に思ううけど・・・・。       
 A あら、全然違うわよ。どこまで行っても、ずーと雪の大平原なのよ。南極最高峰のビンソン ・マシェフ山に登ってきました。 
Q きっと写真では、そのダイナミックさが表れないのですね。ところで、いつからいつまで行かれていたんですか? 
 A 予定では1月1日から1月21日だったんだけど、帰りの飛行機が強風のため飛べずテント の中で待機、25日に帰国しました。

Q 4日問のテント生活はいかがでした? 何をしていたんですか?
 A トランブをしたり、楽器の演奏に合わせて踊ったり・・。すごいのよ、そんな所にまで楽 器を持ってきてるの。白夜だから、いつまでも明るいので、皆は夜遅くまで踊り狂ってい たわ。
Q 食事なんかはいかがでした?
 
A スタッフが調理してくれるんだけど、やはり肉料理が多かったわね。だんだん野菜不足に はなったけど、私は何でも平気だから・・・。

Q 何でも食べられるというのは、すごい強味ですよね。食器なんかはどうされたんですか?
 A 食器はね、自分で持って行くの。私はね−底の深いタッパーで、手の付いているのがとても便利だった。熱い物を入れてもつかめるでしょう。それから、スタバ(スタバックス・コ ーヒー)のふた付きカップ。これすぐれものでした。飲み残しても、ふたをすれば、ポケ ットに入れてもこぼれないの。ほんとに便利だった。あとは、わりばし10本くらい。

Q 「はし」は本当に使利ですね。スタバのカッブもすぐれ物。是非買いたいと思いま す。カッブに入れた物は持ち運べないので、無理に飲んだりしてたんですよ。食べ終わった 後の食器はどうしたんですか7・汚れないんか。
 A トイレットペーパーでふくだけ。それで充分よ。
Q トイレットペーパーと聞くと、排泄物は?
 
A 全部待ち帰り、そのへんの事も、厳しいの。

Q  約一ヶ月の休みをとったわけですが、そんなに長くよくお体みがとれますね。
 A 最初から、そういう約束だから。でも、病気で休んだことはないのよ。具合い悪くても出勤する。
Q 今回、南極に行かれたのは、どんなメンバーだったんですか?男女比とか年齢とか。
 A 男3人、女3人。女性の年齢は、36・63・72。

Q 内田さんの場合、年齢を言われる事が多いのですが、それについてはどんな気持ちですか?
 A 非常に嫌です。いつも、自分より一歳でも年上の人がいればいいのに、と思う。そうすれば、騷がれないですむでしょう?名前を出さないで、とお願いしているのに、出ちゃうのよ。
Q 日本百名山に対抗して世界百名山と一言う方もいますが、それについてはどうですか?
 
A 世界百名山を決められるほど世界中の山をたくさん登っている人なんていないでしょ。それ なのに世界百名山なんか決められないと思う。
Q 日本百名山の話が出た所で、深田クラプ入会のキッカケは何だったんですか?
 A 昔、餓鬼岳に登った時、故清水栄一さんにお会いして、勧められたの。前になったり後ろに なったりして歩いていたんだけど、彼がドイッ語で歌ったりしてたので、私もドイッ語で 一緒に歌ったのね。それでお話するようになって・・・・。
Q 内田さんにとって深田クラブに入会して良かったと思う事は何ですか?
 A いろいろな方にお会いできるって事かな−。自分とは違う世界を持っている方達もたくさ んいるし・・・。

 体重43〜44kgという華奢な体のどこからエネルギーが沸き出るのでしょうか? 手袋を捜すのに恥ずかしいという大きな手のひらと、長い腕は、大切な武器、親に感謝しているとの事でした。 (作成者 渡辺恵美子)