富士山・・・大噴火から300年目の宝永山に登る
                     
 (2007年8月22日)
                    
掲載日: 2007年12月20日      
    
   富士山ご来光・吉田口登山道9合目附近            宝永山噴火壁(噴火300年前)と雲をかぶった富士山頂

 富士山については、「登らない馬鹿、2度登る馬鹿」といわれる。
 2007年8月22日、18年ぶりに富士山を再訪した。今回は5合目以上では完全に解決したというトイレ状況の視察が主目的だった。また、昭和29年11月末、吉田大沢の雪渓登山訓練中、雪崩のため遭難死した5人の東大山岳部学生の遭難碑を訪ねることも意識していた。

 吉田口5合目を13時出発、前回にくらべ体力の衰えを痛感したが、スローペースで8合目上の元祖館に午後5時50分到着した。中は思ったより立派な小屋で、一泊して翌早朝出発、5時5分、9合目近くでご来光を迎えた。太陽は丹沢山系の彼方から現れ、山中湖が白く光っていた。7時前お鉢の縁に到着、左回りで午前8時、剣が峰に立った。霧のため期待していた南アルプスも何も見えなかった。

 この日東京はうだるような猛暑だったというが、富士山頂では寒さに震えた。下りは前回と同じく、御殿場口へ下りた。途中宝永山が目に入り、もう最後と思い寄ってみることにした。大砂走りから火口の縁の尾根伝いに別れ、15分位で標高は2693mの頂上。そこから北西にむけて大噴火口になっており、底の方は草もかなり生え、その中央を富士宮口に向かう登山道が横切っていた。下山後調べて判ったが、宝永大噴火は1707年12月16日、午前10時に突如起こったという。

 富士山はゴミはなく綺麗になり、トイレも100円か200円の有料だが、どこも殆ど臭いがしなくなっていた。世界遺産になることを目指しての努力の賜物だという。なお岩波の「科学」12月号は「富士山噴火の危険性」という特集号である。300年静かに眠っているので、またいつ爆発が起こってもおかしくない、と書いてあった。
 (鴨下重彦、2007年10月16日 記)』