山旅の思い出198

   晩秋の富士を傍らに、静かな稜線歩きを楽しむ
  富士の大展望を求めて (明神山 標高1291m) 

     日程:2024年11月9日(土)  (掲載日:2024年11月20日)


登山口の撫岳山荘バス停

歩き易い登山道を登る

茅戸道から山頂を望む

奥の宮の祠

茅の中にあった三角点

山頂より富士を望む

山道にあったヌタ場

登山道脇には古い鉈目

稜線の紅葉

歩いた稜線を眺めて一献

 *写真はクリックすると拡大します。 *地図:明神山(鉄砲木ノ頭)(出典:国土地理院サイト)   


 山中湖畔から山頂まで高低差300mでコースタイムは1時間弱、展望もバツグンだと言われる明神山(鉄砲木の頭)に、紅葉の季節の秋晴れを狙って登りに行った。

 バスタ新宿を7時45分発の高速バスに乗り、一路山中湖を目指す。うっかりしていたのは、この時期どの路線も車が一杯で中央高速、富士五湖線も渋滞で到着が大幅に遅れたことだ。予定の1時間45分遅れて撫岳荘前に11時50分に到着した。余裕の筈であったが気分的に焦りを感じる。ここからバス通り(国道413号線)を平野方面・三国山ハイキングコース入口バス停に向けて出発する。山中湖畔に出て富士山を眺めたりして歩くこと20分でハイキングコース入口のバス停に着いた。「さぁ、登るぞ!」と気合いを入れて舗装道路を登り出す。直ぐに標識があり、舗装道路から左に折れると緩い階段の山道になった。いったん三国峠からの車道に出た(12時18分)。バスの遅れを取り戻そうとススキの群生地の中の道をひたすら登っていく。

 急坂から緩くなり若者の声が聞こえ出すと広々とした明神山(1291m)に飛び出た(12時55分)。以前登った時(99年12月)は、ガイドブックには「鉄砲木の頭(明神山)」の名前で通っていた。不思議だが、今は完全に逆転している。山中諏訪神社奥宮が鎮座していた。山頂から裾を広げ、冠雪していない富士山を眺望する。お弁当を広げる人達がチラホラ見えたが、ここにも異国語が飛び交っていた。山頂の道標の側の草むらに隠れるように三等三角点があった。汗が引いた頃、先を急ぐことにして13時00分山頂を後にする。二人組が静かに樹の上を眺めていた。何ですかと聞くと「ヤマガラですよ」という答が返ってきたが、僕には全く分からなかった。イノシシが掘ったのであろう穴もあった緩い道を下っていく。明神山までとは、うって変わって静かなコースを独りのんびり歩く。稜線の紅葉が目を楽しませ、古いナタ目?もある。大きく右(東)に回り込むとトラバース気味の道になった。白いテープが横に張ってあったが、地図では丸い山頂に続いていたので寄ってみることにした。山頂には何もなく道も消えていた(13時40分)。元に戻るのもシャクだったから北に向けて下るとトラバース道に出たのでホッと一息である。今までと違い急な山道を下ると切通峠に到着した(13時45分)。遅いランチタイムにした。
 
 後は平野に下るだけだ。道々の脇に旅館が夏の合宿に使うであろうテニスやサッカーのグランドが幾つも並んでいる。それらを前景に明神山の馬の背状の稜線を眺める。上弦の月が天高く望めた。平野の「ゆいの広場・ひらり」でワンカップを開けてバスの発車時間までゆっくり時を過ごした(15時〜16時40分)。帰りのバスも1時間20分も遅れバスタ新宿に20時30分に到着した。
                                               (記 大久保 博)