深田久弥の研究・読み、歩き、書いた』の発刊の趣旨
         巻頭言の「発刊に際して」(小倉厚記)からの抜粋


 
いま、中高年を中心とした空前とも言える登山ブームが到来しています。そのなかで中高年登山者たちの恰好の目標・中核となっているのが『日本百名山』だと言えるでしょう。日本百名山完登を目指す登山者はいかに多いことか、「百名山をやる」という言葉すら生れているのです。筆者は昭和50年に「日本百名山」の完登を終えてはいるが、その頃ではとうてい考えられなかった社会現象です。

 深田久弥はその『日本百名山』の生みの親です。ともすれば華やかな登山ブームの影で、その根源とも言うべき深田久弥の精神と文学の研究はなおざなりになりがちです。その傾向に一大警鐘を鳴らすべく、本書は深田クラブ創立25周年を記念して企画・刊行されたものです。
 当クラブは登山クラブであるとともにペンクラブ、カルチャークラブをもって任じています。多くの執筆者がいますが、そのなかから、とくに深田久弥の研究に造詣の深い飯鳥斉、高澤光雄、高辻謙輔の三氏を選び、クラブ会報の創刊号より現在の第51号までにわたって掲載された作品を、概ね発表順、ほぼ原文に忠実に再録したものです。

 深田久弥はその生家、石川県の墓碑に記されているとおり、スタンダールにならった「読み、歩き、書いた」素晴らしい生涯でした。書斎、九山山房に積み上げられた万巻の書を読み耽けり、訪ずれ来たる岳友と交わり、そして多くの山岳を踏破する一方で、数え切れないほどの文学書を世に送っています。その蓄積の中から『日本百名山』は生れたものです。

 こよなく山の自然を愛した深田久弥は『日本百名山』でも、本書のなかでも「山に対する敬愛の心」が随所ににじみでています。「山のような人間にならなければならない」とは深田久弥が好んで使った言葉です。独得の自然観、山の俗化を心から憂え、開発を極度に嫌った深田久弥。しかし、日本百名山の人気の高揚はまことに喜ばしいことですが、その反面、深田久弥の本源の精神に対しては、二律背反の矛盾をはらんでいます。

 ともすれば山の頂のみを追うあまり、数の亡者になり果てた浮薄なる登山者の輩出、他の山々を省りみない貧困なる精神の持主、また登山者が特定の山に集中することによる自然破壊につながり兼ねないという批判も起っています。

 事実、先般、地元「福井新間」の伝えるところによると、深田久弥のお膝元の荒島岳ですら「休日など50人、100人の団体がバスで訪れ、道が削られ、ブナの根は露出するし、荒れ方が目立つ」と報じています。かかるとき、本書の刊行はまことに時宜を得ているものと思います。
 登山者は心して百名山に登って欲しい。深田久弥の真髄にふれて欲しい。そんな願いが本書にはこめられているのです。とにかく、本書が今後の深田久弥の研究の一助となり、多くの人々に愛読されることを願うものです。(平成11年8月)